かつお

カツオ漁の歴史

今日においても沖縄県本島内では「本部と言えばカツオ」、「カツオと言えば本部」と言われるほどカツオは本部町の代表的な産物であり代名詞です。
本部町におけるカツオ漁業の始まりは1904年(明治37年)に宮崎県から伝わったと言われています。その後明治40年(1907年)に宮崎県漁業者の大漁に刺激を受け本部町でも本格的なカツオ漁業が始まりました。カツオ節製造についても当初は技術的に拙いものでしたが高知県より製造人を雇い技術導入を行い、生産技術を向上させたという記録が残っています。
大正時代は好況を極め、漁船数も40隻を超えていました。同じころ、沖縄県経済は著しく低下し、昭和4年~5年頃にかけて南洋に進出する漁船が増加しました。
昭和18年から沖縄では迫りくる戦禍に備えカツオ漁船も軍の食糧確保に動員され、水揚もそのほとんどが軍に徴されました。そして、昭和19年10月10日(10.10空襲)では出漁していた2隻のカツオ漁船が海上で銃撃されるなど甚大な被害を被りました。
終戦後は漁船、漁具、その他施設はほとんど失われましたが、米軍払下げの上陸用舟艇等を急場の代用カツオ漁船として改造・使用しカツオ漁業を続けていました。
本部町では従来のような大型カツオ漁船は平成22年を最後に操業を終えましたが、現在は小型漁船を中心に操業を行っています。今でもカツオが水揚げされると本部町内では「新鮮カツオあります」の看板が掲げられ、地域住民が買い求める風景が見られます。


  • 本部水産組合職員(1950年)

  • 米軍上陸舟艇を改造したカツオ漁船

  • 本部水産組合所属船(木船)

  • 一本釣り(1960年)

  • 入港するカツオ漁船

  • 水揚されたカツオ

  • カツオを運ぶ仲買人

  • 水揚後に出る看板


かつお

本部のカツオ漁業の特徴

本部町は沖縄本島唯一のカツオ漁が行われており、沖縄県内では「本部と言えばカツオ」と言われる程です。
特徴としては一本釣り、日帰り操業で鮮度抜群のカツオが水揚されます。

かつお

カツオ節

カツオ漁は本部町にはなくてはならないもので古くから地域に密着してきました。特にカツオ節(削り節)は古くから生活に欠かせない食材として親しまれています。
残念ながら使用される原料は水産資源の減少やカツオ船の減少等に伴い本部町産ではありませんが、本部町のカツオ文化を後世に伝えるべく、沖縄本島内に現存する唯一のカツオ節工場にてカツオ節の生産を行っています。


カツオあれこれ

本部町内にはカツオに関するモノが数多く見られます。本部町に来た際はこれらを探すのも楽しいかも。